本当ならば今朝はトレーニングに行くはずだったが、2日も3日も
個人事務所を空けると、さすがに仕事が溜まっている。
トレーニングに行けば午前中の2時間を使う。
きょうはその2時間が欲しい。ということで、トレーニングは土曜日に。
我が子に、昨日大阪で買ってきた「ビリケンさん手ぬぐい」を
乗せて一枚。。。

この子が授乳やミルクを終えて抱き上げるとき、このビリケンさんと
同じような顔をすることがあるのだ。
この手ぬぐいは外に出るときに使おう。
さて、昨夜八王子で「通り魔殺人」が起きた。
先日、秋葉原で起きた事件と根幹は同じような気がする。
33歳の容疑者は、
「仕事がうまくいかず、むしゃくしゃしてやった。
無差別に人を殺そうと思った」と供述しているという。
(画像は毎日新聞より)仕事がうまくいかずむしゃくしゃすることは、私だって日常的にある。
だからといって人を刺していたら、私はこれまで何百人、何千人も
殺人をしてきたことになるだろう。
しかも「誰でもよかった」というのは、常人には理解できない心境だ。
私も感情を持つ人間だ。
これまで生きてきた間に、泥水を飲まされたこともある。
「殺したい」人間が全くいないか。と問われれば、そのときの
感情で言えば「いた」ことになる。
今はどうか。と問われれば、「そんなやつらのために殺人を
犯して罪を負うのはもったいない」と思うのだ。
よく時代劇に出てくるが、その昔「あだ討ち」が制度としてあった。
今、その制度があるならば、私は間違いなく我が子にあだ討ちを
託すだろう。
・・・というくらいの心境でも、人を殺めるということは出来ない。
もっとも容疑者が精神的に病んでいれば、そんな理屈も吹っ飛んで
しまうのだが。
しかし、「誰でもよかった」というただそれだけで命を落とした
22歳の女子大学生と、その遺族の無念を思うとき、容疑者は
やはり極刑にしなければいけないだろうと私は思う。
容疑者の人権云々も言われるが、仮に、老老介護で連れ合いの
介護に疲れ、将来を悲観してやむなくその連れ合いを殺してしまった
罪と、今回の罪は、殺人という意味合いでは同じだが、その根本は
全く異なるものだ。
人括りに「殺人」で片付けられない難しい問題がある。
話は脱線するが、そんな難しい判断を「裁判員制度」では、
我々にさせようと言うのだ。
私は正直いって怖い。
人の運命などを左右できるほど、私は偉い存在ではない。
しかし、秋葉原にしろ、今回の八王子の容疑者にしろ、私的には
「極刑」だ。それは簡単に言えば「人の運命を変えてしまった」から。
人を殺さなくても、人の運命を変えるようなことをした輩は、重い罪だ。
そんな目に合わないと、分からないだろうが。
すっかり話が飛躍してしまったが、甘ったれた大馬鹿の犠牲になった
中央大学3年、斎木愛(まな)さん(22)さんに合掌。
